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PROJECT STORY 01 JOY FIT 出店プロジェクト PROJECT STORY 01 JOY FIT 出店プロジェクト

飲食店の店長から、
フィットネス事業の最高責任者へ。
その14年に渡る歩み。


「もしもあの時」。そんな夢想をしてみたくなるほどに、不思議なタイミングがあり、人の縁があり、時代の流れがあった。いわばそうした「見えない力」に真っ向から挑んだのが、上野剛嗣という人物だ。転機に次ぐ転機、その裏側で動力となったものは何なのか。彼の変遷を通じて、西日本におけるジョイフィットの躍進の秘密を紐解いてみよう。

ヤマウチ・ヘルステック・カンパニー カンパニー長 上野 剛嗣 TSUYOSHI  UENO ヤマウチ・ヘルステック・カンパニー カンパニー長 上野 剛嗣 TSUYOSHI  UENO

ヤマウチのマイルストーンとなった一号店。
ジョイフィット西日本物語が、動きはじめた瞬間。

2017年7月現在、西日本全域に林立している計55もの店舗。まさにヤマウチグループの中核をなすビッグブランド、それがフィットネスクラブ「ジョイフィット」である。ヤマウチが初めてジョイフィットを出店したのは2004年。四国・香川の地に生まれた「ジョイフィット高松」は、組織としてのヤマウチだけでなく、上野の人生にとっても「大きな転機」の象徴として、今もなお輝き続けている。

愛媛県松山市、店長としては2店舗目となる「びっくりドンキー衣山店」で上野剛嗣は充実の日々を送っていた。アルバイトスタッフからキャリアアップ制度を利用し社員になって2年。特に人材育成には力を注いでいた上野は、当時を振り返りこう語る。「時代はモノ消費からコト消費へと移行していた頃でした。飲食部門ではもちろん『食』というモノを提供していたわけですが、同時に、生活者はお金を払って『美味しい』という体験や、『くつろぎ』の時間を購入するようになってきていた。そうした中で私は、サービス業の最大の財産である人を育てることこそが時代を勝ち抜く武器になると信じていた」。

そんな上野が急遽本社に呼び出された理由は、上述の通り、西日本1号店となる「ジョイフィット高松」立ち上げに伴い、その責任者として指名されたからだった。「唐突すぎますよね、完全に畑違いですから(笑)。同じ社内なので当社がスポーツ事業に着手することは耳にしていましたが、正直、他人事だったんです。それが私に白羽の矢が立つなんて…まったくの想定外の外でした」。そんな急展開になったのには事情もあった。担当予定のマネージャーが体調不良になり入院してしまったのだという。上野は自分を呼び出した上長の困った表情を見て、その場で責任者の任を引き受けた。「フィットネスもひとつの接客業です。責任者という大役に抜擢してくれたということは、自分の接客を評価してもらえているという意味に思えたんです」。

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社員2人はフィットネスの素人。
天国と地獄を味わった、オープンからの2年間。

だが、フィットネス業界についてはまったくの素人だった上野。言われるがままに、ジョイフィット発祥の地である北海道で研修を受けた。「と言ってもたったの2週間ですよ(笑)。数値関係の見方、器具の使い方、店舗運営のオペレーションなど、概略を聞いてあとは実践するほかありませんでした」。

高松に戻ると店舗には備品がすべて揃っていた。「さあどうぞ、という感じで。社員は私の他にあと1人だけ。彼はガソリンスタンドの『ヤマウチセルフ』でアルバイトとして働いていたので、やはりフィットネスの素人です。ただ助かったのは業界経験者のアルバイトスタッフが複数人集められていたこと。当初は彼らの方が、社員よりもずっと役立っていましたね」。

だが、「ジョイフィット高松」は快挙とも言えるほど上々のすべり出しを果たす。オープン前までに何と3800人という会員数を獲得したのである。「個人会員のほかペア会員、サークル会員など、リーズナブルなプランを用意したことも効いたようです。受付最終日には300人の大行列ができました。それにも増して、フィットネスクラブ自体がエリア初だったことも大きかった」。

飲食業とは比べ物にならないほどの利益を叩き出すジョイフィットのパワーには、上野自身も驚いた。だが、それもつかの間、「ジョイフィット高松」は天国から地獄へと急降下することになる。「オープンから1年ぐらいで、周辺に競合店が次々にできたんです。立て続けに5店舗も。最悪時には会員数が2300人にまで落ちました」。本部に指示を仰ぎ、新たな施策を投入するがそのほとんどが空回りに終わる。「やはり地力がなかったということ。表面的な数字に踊らされるのではなく、その本質を見つめるように努めました」。プログラムの見直し、大改装など、利用者が本音で何を求めているのか真摯に見つめ、誠実にそれを可視化することで、その後「ジョイフィット高松」は少しずつ業績を挽回。現在では4500人という、全国のジョイフィットでもっとも会員数を有する店舗にまで育った。

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勢いの土台に、分析や戦略といった頭脳プレー。
24時間型「赤ジョイ」のこれからの展望。

2008年、上野は数億円もの予算をかけた「ジョイフィット丸亀」の立ち上げを任された。飲食店を併設した丸亀店は、女性目線の設備やスペースづくりに徹し、高松店とはまた別のターゲット層の刈り取りにも成功。さらに2012年、スタジオを持たない小型の24時間営業ジム「ジョイフィット24」の立ち上げのため、上野は大阪に乗り込んだ。

「社内で『赤ジョイ』と呼んでいる『ジョイフィット24』は、半径500m圏内に住んでいるミドルユーザーがターゲット。このビジネススキームでは、各駅に店舗をつくるぐらいの攻めの姿勢とスピード感が重要です。競合他社が似た形態のジムをつくるいとまを与えない。ただし、高松店の教訓を生かして、一方では緻密なマーケティング戦略や人々の願望の本質を見つめ続けることが大切だと思いました」。

怒涛とも言えるほどのドミナント出店を続ける「ジョイフィット24」は、その後も出店ラッシュを継続。さらに、未来に向けたいくつものプランが控えていると上野は語る。「24時間型の中でもさらに幅広いバリエーションを持たせられないかと、いまヤマウチ社内だけでなく、グループをあげてディスカッションをしています。ターゲットのニーズ、ウォンツ、インサイトは1パターンではない。当たり前です。そうした多様性に応え続けていくためには、『ジョイフィット24』もまた多様化していかなければならないはずです」。ヨガ、加圧、パーソナルトレーニング、スタジオレッスン…。フルスペックのフィットネスクラブから、ジムの部分を抜き出して展開してきた「ジョイフィット24」は、より立体的で表情豊かなブランドに進化する余地をその身に宿しているのだと上野は説明する。「それはご利用者様にとってだけでなく、働くスタッフにとっても大きな魅力になるはずです。個々のキャリアに合わせていくつもの器が用意できるわけですから」。

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最高責任者になった今、思うこと。
大事なことは、やっぱり「人」に尽きる。

上野は現在、「ジョイフィット」「ジョイフィット24」をすべて統括する、カンパニー長という役職に就いている。高松店でマネージャーを務めながら、インストラクターとしてスタジオレッスンを担当していた頃のことを、上野は今でも思い出すという。「あの快感は自分の中から消えることがありませんね。大勢のご利用者様が私を見ている。ヒーローになったような気分でした」。素人からはじめたインストラクター。手づくりの躍動感とビビッドな手応えがそこにはあった。

だが上野は、それよりもずっと、現在担っているマネジメントの面白みに取り憑かれてもいるという。「店舗には一人ひとりと出会える魅力があります。けれど、仮に50店舗で1日1人会員が増えれば、一気に50人のフィットネス人口を増やすことにもなる。だから今は店舗を増やすためのマネジメントに注力したい。日本のフィットネス人口は3%強だと言われています。つまり、97%の人々はまだまだフィットネスを生活の一部に取り入れていないんですよ。数年後を見据え、日本全体をもっと健康にするための戦略を練ることができるのは、いまの立場だからこそなのかな、と思います」。

2004年に1店舗だったジョイフィットは、13年の時を経て55店舗を数えるに至った。かつてアルバイトや若手社員だったメンバーは、各地を牽引するリーダーに育った。仲間も増えた。やはり「人材」なのだと上野は実感している。「誰かひとりでもいなくなったら、ダメになる。そんな時代もありました。今は社員同士が自然と助け合っている。私のミッションは、そうしたメンバーの活躍の場をつくり続けることでもあるんですよ」。

人生に「もしも」はない。だが、あえてその「もしも」に想いを馳せてみる。もしも上野が「びっくりドンキー」でアルバイトから社員登用に挑戦しなかったら、もしも上野が人材という財産に気がつかなかったら、もしも上野がことの本質に目を向けなかったら。どれひとつ欠けても現在の上野は存在しなかっただろう。いくつもの「もしも」があった。そしてその「もしも」を手繰り寄せたのは、上野の意思でもあったはずである。その意思の上にこそ、今のジョイフィットの躍進はあるとも言えるのである。

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